【シャスタ旅 DAY1後半】湧き出る聖水と、夕暮れのシスキュー湖に捧ぐ静かな祈り
私たちは、聖なる湖を後にして
聖なる水源へ。
そこは、シャスタの街から程近い場所
あまりにも街から近すぎて、仲間に「ここに行きたい」と言い出すのが少し気恥ずかしかったほど(笑)。
「水源といえば、山の中でしょ?」という思い込みは
その後、こっぱ微塵に壊れてしまうんだけれど😅
目指すは、Mount Shasta City Park(マウントシャスタ・シティパーク)。
そこに、聖なる水が湧き出ているとのことを日本で読んでいた。
公園について駐車場で車を止めたら、このサイン
向かうと、こんな・・・
地元の人らしき方々が数人、かがんで夢中でお水を汲んでいます。
車の中の、スーパーで購入してすでに空になっていたタンクを取りに戻り
同様に汲んでみると
「あ!飲める」
日本では
(煮沸したりして)慎重になったりするけれど、
この水は、飲める!
どころか
甘い。旨い!何かが違う。
いっぱいにお水を汲ませていただき
ご満悦でまだ夕陽がやさしく差し込む広場の方へ歩いてみる
そしたら
どこからともなく、音がする
↓雑音混じりなのですが、できたら大きめの音で聞いてみてください☺️
広すぎる芝生の上を
(動画には見えていないのですが)
子犬と、追いかける子供が楽しそうに戯れている姿を目にしたら、
なんだか音に混じって踊ってしまった。
それはそれは、不思議な時間。
踊っていたら、私に気づいた演奏者さんたちが、リズムをどんどん強く早く上げてくれて、
何もかもを忘れて、
ひとしきり
無我夢中で体を跳ねたりくねらせたり。
一瞬のことだったんだけど
ダンスも学んだことのない私の
エネルギーの
解放
悦び。
そして私たちは、訳あって
先ほどまでいた、キャッスル湖の方角へ車を再度走らせる。
仲間が、「必要がある」と感じたから。
薄暗くなって人もいなさそうな
レイク・シスキュー。
最初は仲間だけが何かワークをするのだと思っていた。
しかし、私にも「手伝って」という。
「私にできることなど」と思いながら、目を閉じると
何か感じる
少し悲しい。
ゆっくりと寄り添うと
悲しみは鮮明になり
私には、ある少女が、無念の涙を流しているような感じがした。
それは一人だけの悲しみではなく
多くの
また
長きにわたる時代の集合体のような悲しみにも思えた。
何かをしようとして変えられるようなものではない。
そこでのワークは、とても長く続いた。
あまりに不動の悲しみで
自分のエゴで作り出したのか?と疑ったが
そうではないようだった。
結果的には悲しさを一緒に感じることしか、できなかった。
そしてその理由を、後で調べて知る。
レイク・シスキューは、人造湖で
このエリアに土地や家を持っていた先住民や初期の開拓者家族が、
先祖代々の土地を立ち退かなければならなかったという歴史
また
2020年以降に起こっている事故など。
数日前に訪れた、グランドサークルのホピにしても
過去のその時のことを知る由はないのだけれど
現代社会に生きて、その恩恵や豊かさを謳歌している身ではあるけれど、
何か、誰かの犠牲の上にしか、それは作れないのだろうか。
たとえ犠牲が余儀なきものだとしても
そこにどんな目を向けるか
そんな気がして
奇しくも、素晴らしい豊かさを携えた水の恵に触れた後だったからこそ
「忘れないよ」という静かな祈りと心の眼差しを向け、湖を後にした。
濃密な、シャスタの初日
旅はまだまだ続きます☺️
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